時津町浜田郷友岡純一さん一行
支援物資をもってカンボジア訪問
--友岡さんに訪問記を寄せてもらいました--
(2003.10.14〜19)

今回で4回目となるカンボジア訪問。
今まで個人レベルだった訪問が今回からはクラブレベル(ロータリークラブ)になり、更に私の趣旨に賛同してくれたクラブ員の迫野さん、第9グループガバナー補佐の西村さん共々の旅となりました。
 バンコク経由でプノンペンに入ると午前中までいた日本とは風景が一変しました。
露店の店がが多く、バイク、車の半分位はナンバー無し、バイクは3〜4人乗り。
スコールの後で道路は水没していました。

 
初日はアンコールワットを見学、ヨーロッパ人、アジア人(香港、韓国、日本)の観光客が目立ちました。
地雷の犠牲者たちで作った楽団の人たち、10歳くらいの女の子の土産物売り、ゴミ収集袋をもった少年。
日本では見られない光景でした。
 2日目はボートにてトンレッサ湖を3時間走り、カンボジア北西部のバッタンバンという町に着き、目的地の一つであるノリア孤児院へ行きました。
ここには42人の孤児達が生活しています。孤児の子どもたちは皆元気で無垢な目をして私たちを迎えてくれました。
過去に2台のソーラー発電装置を設置していたので、早々に点検に入りました。このソーラー発電で12V・20Wの照明を得ることができ、読み書き出来るくらいの明るさになります。おかげさまで2台とも順調に作動しておりました。
そして日本の皆様から寄贈して頂いたタオル、子ども服、靴、鉛筆、ボールペン、体温計、絵本、お菓子を手渡しました。
 
(支援の長靴やスニーカーを前に身を乗り出す子どもたち--ノリア孤児院)
皆、嬉しそうに手を合わせ有難く受け取ってくれました。
前回行った時、子どもたちは1人1枚のタオルも持っておらず、顔を手で拭いてました。
個々人の持ち物は自分の着るもの、ぞうり、ノート、鉛筆、食器、スプーンくらいしかなく
私の旅行カバンの中身ほども持っていません。
強く、たくましく、育ってもらいたいものです。

3日目は飛行機が欠航になり(よくあるそうです)急遽、車にてプノンペンへ5時間の旅となりました。
悪路に揺られロードサイドの人々の生活を垣間見ながらプノンペンに着きました。
第2の目的地であるHEADO孤児院へ行き、前日と同様に子どもたちへ寄贈品を手渡しました。
ここには3歳〜8歳までの孤児25人が生活しています。
今回はここにソーラー発電装置(12V・20W)を取り付けました。
これでローソクしかない夜の生活が少しは良くなるものと思います。

↑HEADO孤児院にソーラー発電装置を取り付ける友岡さん(右)と琴海町迫野さん(左)

(電気が点いた!祝って記念撮影・HEADO孤児院にて)
この後ユニセフプノンペン事務所を訪問し、日本人スタッフのタケウチさんより井戸掘りについての話を色々と聞かせてもらいました。
30m〜40mの井戸1本は、ポンプその他の材料を含め1,200ドルほどで出来るそうです。
 
4日目はコンポンスポー州の村へ2時間ほどかけて行き、村の集会場で寄贈品を手渡し農家を見学させてもらいました。
この村は長い間ポルポト政権の支配下にあったそうで、元ポルポト軍の兵士もいるとのことでした。
 農村の貧困、都市のストーリトチルドレン、スラム街の人々、地雷により手足をもぎ取られた人々、このカンボジアという国の厳しさがひしひしと伝わってきます。
しかし、子どもたちの笑顔、たくましく働く女性たち、マーケットの活気、少しづつ未来が開けてきていると感じながら帰路につきました。