「時津街道」と「さばくさらかし岩」
(2004.3.11)


時津から天秤棒で鯖を担って長崎へ向かった行商人が、今にも落ちそうなこの岩に驚き
落ちるのを待っていたら、鯖がくさってしまったという。
伝説の信憑性はとにかく、写真は「時津街道」と「さばくさらかし岩」の珍しい古写真
長崎大学付属図書館から借用した。

時津街道は(門が)文化財となっている「茶屋」の前の通りから「さばくさらかし岩」の下を通っていた。
一説には長崎街道より往来が多かった言われている。
この写真は道路幅も広いのでかなり後のものであろう。
江戸時代は、馬とカゴと徒歩でこの道を通っていたと思われる。
この写真の並木道にチョンマゲ男を2,3人立たせてみたい。
一気に水戸黄門の世界にタイムスリップする。


                           (長崎大学付属図書館提供古写真)

さばくさらかし岩は、岩の上にもう一個岩が載っている。
たしかに、上部の岩が落ちたら、街道までころがって来そうな気がする。
さばが腐るまで待ったいう話もまんざらではない。

祖父の時代、この土地と岩の所有者だったという元村郷・山口さんによれば
街道の一部には、並木の松の木が残っていて綺麗だった。
ご自分が4、5歳の頃、トロッコで土を運び、今の国道が造られていたという。





チョンマゲ姿?の男が立っていた


時津街道とさばくさらかし岩のページで、「チョンマゲ男を2,3人立たせてみたい」と
書いたのはウカツでした。

上の写真をご覧ください。
よく見ると街道の並木・左の松の木をバックに一人の男性が立っていたのです。
背が高く旅人風の衣装です。
撮影者のカメラの方向をみているところから記念写真でしょう。
(カメラマンの同行者かもしれない)

この時津の古写真は
長崎大学付属図書館のご協力を頂いて文化協会春まつりで大き目の「A3サイズ」で展示します。
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