カンボジア支援訪問感想記(1)
2004.11--太田千賀子

そうだ!“生きる”ことって、こんなことだったよね

初めてのカンボジア。単なる観光旅行ではないツァーに心惹かれて参加。
“学校に電気をつける?”“孤児院、乳児院への訪問?”私に何ができるのだろうかと自らに問いかけながらも
まずは行ってみてこの目で確かめようと一歩を踏み出しました。



事前に準備した支援の物資の山を見て、私の国日本の「物の贅沢さ」を実感。
訪ねた先は物こそ少ないが、あるものを最大限に工夫して生活の道具を創り出していました。
「人」としての営みの原点がしっかりと根づいていることを感じました。

子どもたちには、その基礎的な生きる力に加えて、生き抜く工夫ができる教育もまた必要かと思いました。
ひとりひとりが人間らしく命を全うできるための情報があり、それを活用できればみんなで気持ちよく生きていけるかなと思いました。
 物やお金という即時的な支援ではなく、自立した暮らしができるための支援をどんな形でやっていけばよいのか、なかなか答えが見つかりませんが、初めてのカンボジアで見た光景を心に刻み、ポルポトの虐殺の歴史を踏み越えて着実に前に歩み始めている人たちと手を携えていこうと強く思いました。
日本で居場所がみつけにくい若者たち、一緒に行って「命」を感じて見ませんか!






次回も参加したい!? カンボジア支援ツアー

カンボジア支援訪問感想記(2)

2004,11 川口 聡美

今回初のカンボジア。
もともと旅行好きの私はいつもの旅行気分で参加。
カンボジアの歴史も、ポルポト政権もよく知らないままに・・・
しかし今回はいつもの”旅行”と違っていろんな経験ができた。

現地の学校の先生たちとの交流。
観光地では会えない現地の子供たち、孤児院の子供たち、
普通に暮らしている人々の生活を見ることができた。

そしてずっとガイドについてくれたキムリーさんのカンボジアについての説明。
質問すれば何でもよく答えてくれた。
キムリーさんは私と同じ1971年生まれ。
私にとって戦争とは昔の事。歴史だった。
しかしキムリーさんのお父さん、お姉さんはポルポトによって殺されている。
同じ民族によって無差別にとても残虐な方法で。
私が歴史上の惨事だと思っていた事を同じ年齢の人が体験していた。
ついこの前まで本当に悲惨な国だった・・・

街にでると、
お腹が空いているからお金をちょうだいと言ってくる子供。
子供にご飯を食べさせたいからとお金を催促する母。
赤ちゃんを抱いて貧しさを強調する少年。
片足、両足を無くしただお金を催促する人。
全ての指がなく荷物を運ぶ手伝いをしてお金をもらう人。


そんな中私が一番印象的だったのは
ミサンガを売る子供たちの中にいた一人の女の子。
10歳ぐらいの彼女は私たちがバスを降りる前から本当に可愛い笑顔で
手を振っている。
私たちが食事の最中、仲間と遊んで待っている。
その最中はすごいしかめっ面で仲間に話してると思ったら、
私と目があった瞬間一瞬にしてさっきの可愛らしい笑顔に表情を変える。
なかなか商売気のある子供だな。。。と思った。

その子は一度いらないと断るとそれ以上しつこく言うことはなく今度は
”あなたが気に入ったからコレをあげる”と言う。
いらないと言っても”お金はいらないからもらって”という。
しかも上手に英語を話し、大人顔負けの表情をする。

私は持っていたハンドタオルと飴を一袋お返しにあげた。
しかし後になってよく考えてみると、あれも彼女の作戦だった。(かもしれない)
商売をしてるんだからちゃんとお金を払えばよかった・・・とも思った。
本当は彼女がどんな家族の中でどんな生活をして、稼いだお金をどう使うのか
聞いてみたかったなぁ。。。
彼女がたくましく、いじらしく思えた。

私が今回カンボジアで感じたことは、カンボジアの人々はその生活を
不幸とは思っていない。
それは他国の恵まれた生活を知らないせいでもあるかもしれないし、
ポルポトの時代を経験した人にすれば、今が幸せな時代なのかもしれない。

日本人の私たちからすれば、
田んぼはただただ広いだけではなくもっと確実に収穫できる方法を
考えればいいのに。。。
おなか空いてるんだったら何ですぐに食べられる果物や野菜を
家の周りに植えないのだろう。。。
あんな泥水を飲み水にしないでいい方法を考えないのだろうか。。。
もっとお店の前をきれいにすれば、観光客も立ち寄りやすくなり
商売繁盛するのに。。。

でもそれがカンボジアの国風ならそれ変える必要はないのではないかと思う。
しかし事実、そのままほって置くと本当に死んでしまうという子供もいる。
家族全員をエイズで亡くした女の子とも会った。
もちろんエイズに犯されている子供も。
お金を欲しがる子供たちの中には本当にやせっぽちで服も体も泥まみれ、
埃まみれの子供もいる。
私は冷たい様だけど、大人はどんな生活であれ選んだ生活をしていると思う。
しかし子供たちは生活を選べない。

この様な活動に興味を持ち参加させてもらうなら、
どのような活動が必要で、どのような活動が余計なお世話なのか
考えないといけないと思う。
しかし今回1度だけの訪問ではその答を出すことができない。
考えればどんどん深みにはまって行き結局何もできなくなってしまうような
気がする。
しかし今回ツアーを計画してくれた友岡さんが最後の日に
”結局は人の人生を背負うことはできない”と言った。
そのとおりだと思った。
たとえ私が小さな子供を可愛そうだと思っても、現実その子供を引き取って育てる
なんてできない。

日本には物も、食料も、教育材料もあふれかえっている。
それによって少しでも空腹をしのぎ、教育の機会が与えられたらと思う。
あまり深く考えないで、日本であふれ返っている物を利用し、
少しでも”おすそ分け”できたらと思う。
私は今後いつまで、どんな事に協力できるかわからないが、
今は次回もぜひ参加してみたいと思っている。
ボランティアという名目でありながらカンボジアの人々とのふれあいは本当に
楽しかった。




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