カンボジア支援訪問報告記
2004.10.22〜26
                    
今回の訪問は、長崎琴海ローターリークラブから3名が参加しました。
お三方はロータリークラブの例会で口述報告されましたので、その時のお話を
当HPでも紹介させていただくことにします。

迫野廣征さん↓
 前回は何の準備もせず友岡さんについて行っただけでしたが、今度は青山さんたちと全部一緒にやろうということで、

 荷物集めから梱包まで、梱包も大変で300キロほど集まって、持って行くのが一人20キロですので仕分けをして8人だから160キロ。
              
 分担も決めて、団長、会計、医療と決めて、僕は労働の方に回ろうということで、荷物かつぎ専門でした。 ということで、写真にはいつも団長が写っていたという次第です。
 
 去年行ったところのメンテナンスに回ったり、今度は高校と中学校と取り付けまして、屋根が急勾配のところに、友岡さんが慣れた手つきでやってくれました。

 最後には乳児院に行ったんですが、湯江出身の女性の方が経営されていて、向こうも感激されていましたし、私たちも長崎の方がやっておられるのかと感激しました。


友岡純一さん↓
  5度目のカンボジア訪問に行ってまいりました。
カンボジアはベトナムの西側、タイの東側にある国ですが、人口が1200万人。
 国民の一人当りの総生産が300ドル、日雇い労働者の日当が1.5ドル。

 泊まったホテルが朝食つきで30ドル。ほとんどが外国からの旅行者で現地の人はいません。
 シェムリアップからプノンペンまでの飛行機(プロペラ機)にも外国人旅行者と思しき人ばかりで、現地の人は乗っていない。

 内戦が終わり、政情が安定してきて、国王の交代式が先月29日に行われましたが、まだまだ国民はきちんと認めていない部分が多いというガイドの説明でした。
 
 しかし国王が変わり、ポルポトの国際裁判が始まるということで新しい動きが始まるのかなという感じがしています。
            
   
  バイクの半分、自動車のほとんどがナンバーがついていない。ナンバーをつけるように命令して税金をとろうとしても、払うお金を持っていない。

 そこで仕方なく外国のお金で国家予算の半分を賄っています。

 内戦が続いていたせいで、まだまだ軍事費の比重もかなり高い。
 一気に軍縮をすると今度は兵士が失業し、銃器が街に流れて政情不安になるということで、これもひとつの悩みのようです。

 意外と知られていなかった事実として、1200万のうちベトナムからの難民、移住が100万人いるということで、無視できない。ベトナム人がカンボジアの中に根付いているようです。
             
 カンボジア北部のシェムリアップに着き、今回はどこにソーラーをつけるかということで、シェムリアップの郊外30〜40キロと聞き、1時間もあればいくかなと思っていましたら、舗装があるのはほんの20分程。その舗装が切れるやいなや、揺れに揺れて1時間半という時間をかけて本当の郊外に着きました。

 10分か15分走ると電線が途絶えている。その地域に電気が来ていない。両サイド田園風景で、それがはるか彼方まで続いていて、食料は自給できるかなという感じでした。

 そして小学校を見つけましたが、学校が休みということで、先生方に協力してもらい1時間ほどで取付けを終わりました。

 持参した荷物を約半分ほどそこに置いてきました。さらに20分ほど走り、もう一つは高校にソーラーを取り付けてまいりました。

 その後昼食場に行くと、早速子供たちが土産物売り、物乞いに来まして、あめを持って行っていたので渡しました。

 カムサハムニダという言葉が出てきて、結構韓国の人たちも来ているのかなという気がしました。
 
その後、アンコールワット、アンコールトムの観光をし、その夜はシェムリアップに泊まって、明くる日、シェムリアップからプノンペンに向かいました。
             
 トンレサップ湖という、雨季の時は琵琶湖の10倍、乾季で水が干上がった時は琵琶湖の4倍ほどの大きな湖の上を通っていきました。

 この湖は雨季の時はメコン川から逆流してトンレサップ湖に流れる。雨季が終わるとベトナムの方に流れていく。水位が雨季と乾季で10mほど変わる。水はたっぷりあって三毛作までできるということでしたが、残念ながら灌漑設備が整っていなくて雨季を利用して年に1回しか作っていないということでした。
 
 プノンペンに入り、Headoという昨年取付けをした孤児院にその点検を兼ねて行ったんですが、子供たちが入れ替わっている。去年の子供はいないんじゃないかと聞くとちょっと言葉を濁されて、あちこち移動させられているのが実情なのかなと思いました。

 コンピュータ学校と英語学校がそこを面倒見ているということでしたが、存続できなくなって孤児院への援助もなくなり、日本にも援助してくれていた方がいたんだけれどその方が亡くなって、今は全く支援を受けられていないということで存続の危機に瀕しているということでした。
 これもまた新たな課題を突きつけられたかなと思いまして、早速皆さんにカンパを要請しまして、約1ヶ月分の費用を集めてお渡ししてまいりました。

 私は3度目の訪問になるんですが、長崎の湯江出身の前田さんという方が運営なさっている乳児院を訪ねました。

 ここの子供たちは比較的清潔で、いろいろ面倒を見てもらって明るい表情が見て取れました。しかし5歳の子と言って抱っこしていた子は、子供が来た時には必ず血液検査をするそうで、その時点でHIVにかかっていて、やや免疫力が低下しているので薬の強いのに変えるということでした。

 あとはマーケットで拾ってきた子で両親すらもわからない。子どもによっては親はどこどこで生きてらっしゃるけど、家庭の事情で預ってらっしゃるということでした。

 最初にお話を聞いた時、「いつまでいるんですか?」と聞くと「ずっといます。私はここに骨を埋めます」というような方でした。

 あくる日、一人残りまして、小学校に行きました。これは空港を過ぎて30分ほど、ここも地域そのものに電気がきていない。
           
 校門から列を作って、500人ほどの生徒たちが出迎えをしてくれました。5月に送っていた荷物を持参して配った次第です。教室を見学させてもらったり、図書館を案内してもらって、アメリカ、カナダ、日本の絵本があって、1割ほどはクメールのルビがうってありました。

 日本の絵本はすばらしいからそれを見るだけでも子供たちは和むので、ふりがななしのものでも送ってくださると有難いということでした。随分回し読みもしたんでしょう。いろんなところをセロテープで貼ったり、修理がしてある。絵本だけでもお届けするのがいいかなと思いました。次の機会はここにソーラーをつけますからという約束をしてきました。
 
















 行くたびにいろんな問題があって、どうしたらいいかと考えさせられるんですが、ひとつ幸いなのは比較的少額のお金で効果的な援助ができる。
 
 1回飲みに行かないだけで、1孤児院の1ヶ月分の生活を支えることができるということで、今回8名の方々で訪問しましたが、さらに継続して今後ともできる限りのことを続けていきたいと思います。

 町にあるセントラルマーケットには物は豊富、エアコン、冷蔵庫と何でもある。お金さえあれば、マーケット周辺にも物があふれている状態。犬猫も今回は結構見かけました。最初の時にはほとんど見かけなかったので、少なくとも人々が飢えていない状況にはなっているようです。
渡辺 力さん↓
 今回、初めて参加させて頂きまして、着いた瞬間「あぁ、私の小さい頃の雰囲気があるな」という気がしました。

 舗装されていない道の風景に懐かしい印象を受けましたし、また大きなスーパーや立派な家もあって現代の雰囲気もあり、まさに30年前と現代がマッチしたような国かなと思いました。
           
 ただ驚いたのは人、人、人、どこを見ても人ばっかりなんです。田園の方に行っても人が道端にずーっといらっしゃる。

 その中に小さな出店を出して、食べ物屋、タバコ屋、飲料水屋が点々とあって、食べ物屋さんには小さなテーブルが4〜5個あって食事をされている。そういった風景がずっと続いた中を行って、ソーラーシステムを付けてきました。

 そんな中で、私は仕事柄、どうしても子供たちのことに目が行ってしまうんですが、日本の子供たちとすると非常にいい目の輝きをしているなという感じがしました。
 
 それにお金をやるわけにはいきませんけど、アメをやると手をあわせて「ありがとうございます「と必ず言ってくれる。日本の子供たちには失われかけていることかなと思いました。
 日本は豊かすぎて、アメひとつもらったぐらいじゃ喜ばないというような感じがします。
           
 改めて自分自身も考えさせられましたし、幼稚園・保育園の子供たちにも伝えるべきものだなと感じました。
 日本のお城とかも非常に迫力がありますが、アンコールワットもそれ以上の歴史を感じましたし、どうやって作り上げたのかなという感じがしました。

 ただ残念なのは、石に日本の名前がいくつか彫ってありまして、ここまで来ても日本人をやっているかとちょっと残念でした。
 
  
 アンコールワットにも1600年代に日本人がただ一人だけおられたそうですが、その方の墨で書いた文字もさわって消えかけていました。それも日本人かなと思いました。
 
そういうところからすると、日本は豊かで進みすぎて大事なものをどんどん忘れて行っているかなと思いました。

 改めて自分自身、そういうものをきちんと整理して考えていきたいと思います。

 ボランティアにつきましては、友岡さんも言われたとおり難しい問題もありますし、進めば進むほど大きい問題が出てくる気がしましたが、できることから、靴など贈られても非常に喜ばれるということです。

 これから先、またどういう形でボランティアが進んでいくのか友岡さんたちとも話を聞かせて頂いて参加をさせて頂きたいと思っています。















 また来年行かれるということになれば、もう一度参加してみたいなという気がしました。

 食事もタイ米にぶっかけごはんという感じで食べましたが、私は非常に味が合いまして(笑)。皆さんから、「ここで生活できるんじゃないか」と言われまして、そうかなと思いました。

 Tシャツと短パンで行くと、現地の人に間違われる感じがしまして、違和感なく溶け込めるようでした。

 皆さんもお時間等あれば、参加をしていろんなことを取り入れていかれればと思いました。
                                    



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