カンボジア孤児支援訪問感想記
 
(平成16年12月4日  嶋ア 紘史)

定年退職してから2年になり、やっと生活リズムにも慣れた今年
コミュニテイー時津の同級生よりカンボジア孤児支援のボランテイアに行かないかとの誘いをうけました。
ボランテイアという言葉はわが国ではいつごろから使われだしたのだろうか?
もう20年になるのだろうか?

しかし自分にとってはあまり関係ないものと思っていた。
現役のころは自分の生活のため、仕事と時間に追われっぱなしで、弱い人たちや困っている人への支援の行動を起こしたことはなかった。今回こういう機会に恵まれ参加することにしました。

10月22日は福岡空港を昼時に出発してバンコク経由でシェムリアップ空港についたのは午後7時過ぎのこと。
入国審査時に虫の襲来を受け、「ああカンボジアに着いたのだ」と実感した。
現地のコーデネーターのキム.リーさんの出迎えを受け、途中市内のレストラン
で夕食をとりホテルに向かう。11時過ぎに就寝。

10月23日は朝食後マイクロバスにてホテルより2時間ほど離れた2つの学校へソーラーパネル取付
支援物資(衣類、学用品、その他)の配給しアンコールトム、ワットの見学に向かった。
学校に向かう途中の悪路には参った。

後部座席に座っていたが、バスが上下左右に揺れて尻が痛くなり、取っ手に捕まり尻を浮かしたほどだった。
しかし窓からみる風景は南国特有の明るく、ゆったりとした風景が流れていた。
沼では網や手製釣竿で魚を獲ってる大人や子供、無邪気に泳いでる子供たち、水牛が水に浸かり暑さをしのいました。
自然の背景こそ違うが自分の子供の頃にタイムスリップしたようだった。

ほどなくして小学校へ到着した。
この日は土曜日で生徒達の姿はなく、その土地の教育関係者と若い女性教師の出迎えを受けた。
早速ソーラーシステムの取付と支援物資の開梱をしました。
前日までソーラーパネルの取付は張切ろうと考えていたが取付場所が高く若い人に御願いし、我々ロートルは下回りの手伝いとなった。
同行の女性の方は女性教師たちとコミュニケーションをとっておられ
はじめは硬い表情の若い教師達が穏やかに変わっていたのが印象的だった。

つぎの高校では男性の若者が大勢手伝ってくれ、ソーラーシステムの取付は早々に終了した。
昼食は地元の人達が利用している食堂でとり肉、魚、野菜の煮込み、ご飯とも抵抗なく食べることができた。
店の前には物乞いや、小物を売る子供達がたむろし言葉たくみに我々にまつわりついてきた。
午後3時過ぎに世界遺産であるアンコール遺跡へ向かった。

カンボジアの代名詞のように言われるアンコールワットと周辺の寺院は夕日に映えて美しく、その存在感を示していた。
世界中から大勢の観光客が訪れていることが通訳の言葉からうかがえた。
私が特にひかれたのはアンコールトムの中心にある仏教寺院のバイヨンの石仏(下記の写真)であった。その慈悲深い微笑を浮かべた観世音菩薩の表情が何を意味するのか考えさせられた。



10月24日は朝から空路プノンペンへ移動し、
昨年、友岡、迫野両氏がソーラーシステムを設置した孤児園を訪れた。

30人位の孤児と園長が迎えてくれた。
ソーラーシステムは特に問題なかったようだ。
早速持ち込んだ支援物資を開梱し体型にあった衣類を配給した。

友岡、渡辺両氏、および川口さん達の女性二人は子供たちの目線にをあわせ
子供達と無心に遊んであげてるのに感心しました。

言葉の関係ではっきりしたことは分かりませんが園長が所属しているところからの資金援助がなくなり孤児園の運営が困難になり、閉鎖せざるをえないということです。

この孤児たちは何処にひきとられるのでしょうか?
孤児支援の難しさを知らされた1日でした。

10月25日は現地ボランテイア団体に送付されていた支援物資の確認し
長崎出身の前田さんが園長をしている孤児園を訪問しました。

宮殿と刑務所博物館を見学し、夕方路帰路につきました。
刑務所博物館の見学でバスから降りたとき、片足を失くし、松葉杖をついた戦傷者が突然私に近ずきお金を恵んでくれと迫りました。
あまりの突然のことで体が硬直してしまい、我々が子供のころ、戦争で負傷した人達が白い服を着て同じ様なことをしていた事を思い出しました。

表面上は平穏を装いましたが、内心はどきどきで見たくない光景でした。
また館内でポルポトの拷問の数々を説明をしてくれたコーデネーターのキム.リーさんはいつもの明るく
ひょうひょうとした笑顔はありませんでした。

なぜならば彼のお父さん、お姉さんもポルポトにより殺されているからです。
この感想文の最後に、キム.リーさんが語った言葉を記して終わりにします。

「ポルポトの犠牲になったカンボジア国民は報復や復讐を考えても、また同じことの繰返しを生むばかり。」とし
悲しみを押し殺し、前向きに生きてる様に感じました。


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