世界最大級の世界遺産群へ向かう
10月31日
アンチャーンオンコーでの衣類の
プレゼントをすませアンコールの観光へ

アンチャーンオンコーの学校付近には、カンボジアでも貧しい家が並ぶ。

下は車窓から撮影した家。
道ばたにあって、椰子の葉で造られている。

暖かい国なので、子供の裸は何の違和感もないが
食糧が少なく水道も電気もない。
医療も教育も整わない田舎の生活は厳しい。




31日昼食をすます

次は、カンボジアの世界最大級の世界遺産群へ
この遺跡群は9世紀から15世紀にかけて
歴代の国王が造り上げた寺院等の遺跡
アンコール朝が陥落後石造寺院も密林に覆われ地元の人が
ひっそりと祈りを捧げるだけになっていた。

140年前にフランス人が発見したことによって
世界に知られるようになったという
下は12世紀に造られた仏教寺院タプロム)

いたみひどい寺院は修復がなされている。日本企業も修復に一役買っているようだ。
しかし、仏教寺院タブロム(下)は当時のまま残され
熱帯樹木寺院を覆い侵食が心配されている

この寺院へ向かう道には地雷被害者が義捐金を乞うて演奏していた
カンボジアには400万から600万の地雷が埋められているといわれる。
地雷の被害が大きく、四肢を失ったものが多い、また危険な地雷が国土の復興開発に
影響を与えている。
地雷の被害者は、四肢の切断や目や手など身体の複数箇所に被害を受けるのが特徴
 
終戦後の長崎でもお宮日などで
白い装束の傷痍軍人が軍歌を奏で義捐金を募っていた時代があった。
切ない思いをしたものだ

アンコールワットのメボン祠堂

アンコールワットの急な階段の昇降を楽しむ人、それを見守る人
フランス、アメリカ、中国、韓国、それに私たち、世界の観光客の言葉が飛び交う
平和な世界遺産の観光地だった。

貧国カンボジアの今の生活と
当時栄華を誇った
緑のなかにそびえるこの偉大な世界遺産の石造寺院
その隔たりに戦争の愚かさを改めて感じさせる。


31日の活動を終えてホテルへ
11月1日、明日の朝はプノンペンへ飛ぶ予定


つづく

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